映画「えんとつ町のプペル」を10日間で3回観ました。

プペルが始まることを知ってから3カ月、お出掛けのときは必ず「シネマ行く‼(行きたいの意味です)」と言ってきます。

映画館に入るまではとても楽しそうなのですが、映画が始まると、内容はわからないので終わるまで大変です(なぜかプペルの絵本が大好き。映画をとても楽しみにしています。に様子は書きました)。

ですので、あまり期待しないで「えんとつ町のプペル」に行ってみました。

1回目観たときは、ずっと私の腕をつかんでいました。

危ない場面だとぐっと力が入ったり、映画の内容と力加減が合っていたので、一緒に観ていてちょっとびっくりしました。

なんとなんと、最後まで集中して観ることができました。

絵本を読んでいるときは、話の流れがわかっている手応えはあまりなかったのですが、映画によってストーリを味わうきっかけが生まれたらうれしいと思っています。

     プペルの絵

好きなことができると成長しますね。

左の絵は最近のものです。針金みたいな人しか描かなかったのに、ゴミ人間がとてもリアル。妙なアレンジのおまけ付きです。

私の休みの前日には、次の日の妄想コースができているみたいで、結局抗えず、もう3回も観ています。

最近は、ゴミ人間が殴られるシーンなど、ピンチの場面になるとちょっと大変です。

直視できない様子で、耳をふさいで目をつぶって、「う~ん、う~ん」と声がでます。

普段何もないときでも声が出てしまうので、映画の最中は「しー」を何度もさせるのですが、ピンチの場面ではそれどころではなくなるようです。

3回目のときは、場面のだいぶ前から声が大きくなって、目も耳もふさいでいるので「しー」も全然伝わりません。

あまりにも大きくなってしまったので、一回外に引っ張って落ち着かせてから戻りました。

今後も映画に行きたいのが続くようだと、声を出さない練習をしないといけません。

そんなトラブルもありましたが、感情移入できているのだとしたら大成長なので、プペルはありがたいきっかけを与えてもらったと思っています。

話は変わって、最近「自閉症という知性」という本を読んで、自閉症は治るものではなく個性なのに、大多数の定型発達の社会に合わせることを強いられている側面があることに気が付かされました。

声が出たり、バイバイが逆向きになったり、個性として表出するたくさんのことを否定せずにどう社会と折り合いをつけるのか。

映画を観ると2時間横で、「しー、声出てる」「しーしないと外に出るよ」を繰り返し言い続けることになるし、クールダウンで外へ連れ出さざるを得ない現実があります。

一方、声が出るということも含めたけいちゃんの個性あります。

映画を観るときは声を出さないこと。声が出るけいちゃんそのものを否定をしないこと。

そんなことを考えながら4回目を観たいと思います。

  映画の前 
  笑いが止まらない
  はやる気持ち

Follow me!

タイトルとURLをコピーしました